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特集記事 2023.02.21
特集記事
2021.03.12
2021/1/9(土)、SUNABACO八代にて「世界を変えるイノベーターに学べ‼️」と題したイベントを実施しました。ゲストは日本植物燃料株式会社 代表取締役社長 合田 真さん。
アフリカのモザンビークでバイオ燃料の生産、供給から電子マネーを活用した金融事業を展開、さらには国際的な機関であるアフリカ開発会議に参画して、日本のJA(農協)をモデルにした「農業イノベーションプラットフォーム」の展開に向けて精力的に活動されている合田さんに、現在に至る変遷とその背景にある思い、さらには合田さんが作りたい未来の世界についてお聞きしました。
■プロフィール
合田 真(ごうだ まこと)
日本植物燃料株式会社 代表取締役社長
2000年に日本植物燃料株式会社を設立。バイオ燃料を製造・販売する事業をアジアにて展開した後、アフリカ・モザンビークに事業を拡大。電気も銀行もないアフリカの農村で、村人がお金を土に埋めて保管している様子を見て、お金の管理にニーズを感じ、「電子マネー経済圏」をつくる事業を立ち上げた。この事業は、世界中の農村や貧困地域に「お金の革命」を起こすポテンシャルがあるとして国連にも注目されている。最新著『20億人の未来銀行 ニッポンの起業家、電気のないアフリカの村で「電子マネー経済圏」を作る』(日経BP)
長崎県西彼杵郡に生を受けた合田さんは、高校卒業後、京都大学に進学するも6年目で中退。その後、当時給料が良かったという理由から商品先物取引の会社に入社して営業をされていましたが、当時のクライアントに誘われ、当時はIT関連の事業を行っていたその会社に転職されます。
入社半年たった頃、流れでその会社を買い取り、郵便物の発送代行という”おいしい”事業を展開されていましたが、その仕事にも飽きてきた頃に芽生えてきた思いは、
“儲かることも大事なことなんだけれども、自分が次の10年の時間を使っても飽きないような仕事をしたい”
長崎で生まれ育った合田さんの心の片隅に常に去来するのは、小学生の頃に社会科見学で行った長崎原爆資料館で見た、原爆の、戦争の悲惨さでした。
”限られた資源に関しては、使っていて資源制約がかかってくると、ものによっては戦争して人殺してでもそれを奪い合うっていうことが現実に起きるわけです。それに対してバイオ燃料(再生可能エネルギー)は、私たちが木を1本植えたら少なくとも昨日よりも1本分人類が使えるエネルギーは増えるわけです。じゃあ、1本じゃ足りなかったら100人でがんばって1万本植えましょう、あるいは10万本植えましょう、要は奪いあって殺し合うんじゃなくて、自分たちが使えるものを増やしてシェアする努力をみんな一緒にやっていけばいいのだ。”
合田さんが植物燃料に着目して事業化するに至ったのには、そういう思いがありました。
合田さんが植物燃料の事業をスタートされた2000年頃は、バイオ燃料に関する世間の認知度も低い状態でしたが、2003年にイラク戦争が勃発して石油価格が大きく高騰、代替燃料としてのバイオ燃料への関心が高まり、徐々に注目され始めました。
先んじてバイオ燃料を手掛けていた合田さんは、首都圏の公共交通機関へのバイオ燃料の販売などに事業を広げて行かれましたが、2005年には気候変動枠組条約に関する京都議定書の発効、2008年に当時のオバマ米大統領が打ち出した、環境分野への集中的な投資で経済の再生と温暖化の阻止を同時に達成する「グリーン・ニューディール」政策なども後押しとなり、バイオ燃料の分野が世界的にも広がっていった時代でした。
2006年頃からアフリカのモザンビークでの研究開発プロジェクトに関わっていた合田さんは、そのプロジェクトで構築できた各方面との関係をもとに、満を辞して2012年に現地法人を設立、バイオ燃料の事業をスタートさせることになりました。
アフリカ大陸南東部の海に面した場所に位置するモザンビーク。合田さんが事業をスタートされたのは、北部のカーボ・デルガード州でした。貧しい農村の多いこの地域で手掛けられたのは、農民たちにバイオ燃料の元となる植物「ヤトロファ」の苗木を配布して栽培してもらい、収穫できた種子を買い取ってそこからバイオ燃料を作り出して、その燃料を村に供給する、という事業でした。
作り出された燃料は、主に現地の人々の主食であるトウモロコシを粉にするための製粉機の燃料として使われていますが、都市部でないこの地域では送電網による電力供給が行われていないため、携帯電話の基地局に電源を供給するための発電機の燃料としても活用されています。
こうした燃料自体の販売以外に合田さんが取り組んだのは、その燃料で自ら発電した電気を活用した事業でした。もともと電化されていない地域のため電気そのものを販売することはできませんでしたが、それならということで仮設の小屋を建てて売店を作り、冷蔵庫で冷やした飲み物を販売したり、充電式のランタンに充電して貸し出したり、魚の保存用の氷を製氷機で製造して販売したりと、電気によって付加価値をつけた商品を販売することに取り組まれたのです。
この売店は、地域の人々から好評を得て順調に売り上げを伸ばしていたのですが、ここでひとつの問題にぶち当たります。
“30万なり50万売り上げが上がると、2週間に1回ぐらいのペースで、ほぼ間違いなくなぜか3割ぐらいの現金が足りなくなる。売上は100あるんだけど現金を数えると70しかないと。これが一箇所だけじゃなくて、全ての店舗でなぜか3割ぐらいなんですよ。”
村々が離れていることで監視が行き届かないため、現金の持ち去りが発生していたのです。これが続くと、店舗を展開するのにも支障が出てくる、ということで導入したのが電子マネーのシステムでした。携帯電話網が普及していたため、POSシステムやタブレット、カードリーダ・ライタなどを用意すれば、電子マネーのシステムは導入可能、ということで、合田さんの店舗では2013年に完全電子マネー化。売上と現金の誤差が1%に収まる結果となりました。
電子マネーを導入することでは、売り上げの管理以外の面でも思わぬ展開がありました。
当初は商品購入の際の支払いのために使用されていた電子マネーでしたが、利用履歴を見てみると、通常の買い物よりはるかに多額のお金がチャージされているケースがあったのです。その理由を調べてみると、意外な事実が判明しました。
“彼らの身近なところには銀行が存在しないと、じゃあ農作物の余剰分を売って現金が入りましたと、でこの現金を、家族に知られてもお互い取ったり取られたりするので、それぞれが管理しているわけです。壺に入れて穴掘ってどこかに埋めているとか、いろんなことしているわけですけど、それでもやっぱり紙のお金なんで、埋めていてもシロアリに喰われてボロボロになりましたとか、洪水で流されましたとか、誰かが見つけて持っていきましたとか、いろんなことが起こるわけです。”
電力網が整備されていないため銀行がないこの地域では、現金を現金のままで保有していることで様々な問題が発生していたのです。そのため、電子マネーが導入されたことで、現金で持っているよりは、ということで銀行に預ける感覚で電子マネーにチャージする、ということが行われていたのでした。
これに気づいた合田さんは、電子マネーを活用した新たな展開に乗り出します。バイオ燃料の原料以外の農作物の買取も電子マネーで行うようにし、それら預け入れのデータについても管理するようにしました。これまでの支払い情報に加えて、預け入れ(利用者から見ると収入)に関する情報が蓄積されていくことで、彼らから借り入れの相談があった際に判断の拠り所とすることができる、つまり金融業界でいう与信管理ができるようになり、資金の融資を事業として行うことができるようになったわけです。
“ピースエンジニアリングっていう言い方をしているんですけれども、平和っていう状態は何と何と何の条件が揃えば争わなくてもいいような社会を作れるのかっていうところが僕らにとってのメインのテーマで、今んとここの食べ物が十分にある、エネルギーを自分たちで作れるあるいはコントロールできる、それを交換する時の道具としてお金っていう道具を我々は使ってるわけですけれども、このお金っていう道具がフェアであること公正公平であること、この三つを柱としています。”
合田さんが信条としている「ピースエンジニアリング」の実現が可能になった瞬間でした。
合田さんが展開していたシステムは国連食糧農業機関(FAO)の知るところとなり、2015年にFAO向けにシステムを提供することとなります。農家が農業資材を購入する際にFAOが出していた補助金は、当初は紙のバウチャー(引換券)で提供されていました。紙だと、破損や偽造、お釣りがもらえない、特定の店舗でしか使えないという問題がありました。これをデジタル化することで、その意図に沿った有効な活用を進めることができるようになりました。
また、合田さんのシステムはNFC(近距離無線通信)を利用しているため、ネットワークに繋がっていなくても操作が可能で、端末(スマホやカード)に取引履歴が残る、という特徴があるため、2019年にモザンビークで大型サイクロンによる被害が発生した際にも、FAOからの要請を受け緊急支援に有効活用されました。
日本の外務省主導のもと、国連や国連開発計画(UNDP)、世界銀行、アフリカ連合委員会(AUC)と共同で開催している「アフリカ開発会議」(TICAD)というアフリカの開発をテーマとする国際会議があります。2019年に開催された第7回では、日本とアフリカのビジネス関係を強化するという目的のもと初めて民間企業が参加することとなり、そこに向けた提言を行う会議体として官民が参加する「アフリカビジネス協議会」が設立されました。その中の約400社が参加している農業系ワーキンググループの責任者をされている合田さんは、日本の農協(JA)をモデルにした総合型農協による村づくりを提言されています。
“日本国内でJAに対していいこと言う人もいれば悪いこと言う人もいれば、様々な問題が今日現在あることはもちろんそれは嘘ではないと、いいことだけではもちろんないと思ってるんですけれども、それでもJAの成り立ちとそのコンセプトには世界に通用するものが僕はあると思っています。”
ヨーロッパやアフリカなどは特定の品種に特化した専門農協が主流ですが、日本の農協の活動分野は、農畜産分野だけでなく、貯金や資金貸付業務を行う信用事業、肥料・農薬・生活用品などを扱う購買事業、保険業務を行う共済事業と多方面に渡ります。
“都市部だけではなくて農村部においても同じように不自由のない暮らしということを成立させてきた。だからこそ分厚い中間層を持つことができた。農村部が日々の暮らしを送っていく上で必要な基本インフラっていうのを作り上げてきた。その中ではJAが果たした役割って僕はものすごく大きいものがあると思っています。”
民間企業ではなかなか手を出さないような地域でも、JAは存在して生活インフラを作り上げていく、そういうシステムが途上国の農村開発には非常にマッチする、ほとんどが小農であるアフリカなら、小農がグループになって力を発揮する結果を示せるモデルが日本にはある、そう合田さんは語ります。
コンセプトとしての総合型農協システムの提案の具体的な形として、農業系ワーキンググループでは「農業イノベーションプラットフォーム」の検討を進めていらっしゃいます。2つの柱のうちの1つは、「アグリカルチャーデジタライゼーション」。バイヤーと農家が農業資材や農作物の売買を行うためののマッチングプラットフォーム作りです。信用がモノを言っていた個別の取引から、プラットフォーム、コミュニティに移行することでそれぞれの参加者の努力の見える化を図ることができ、不信感の起こりづらい取引が可能になります。
もう1つは、「データ解析によるマクロな課題の掘り起こしと整備」。取引のレコードが蓄積されていくことで、それをデータ解析することで、地域ごとに抱えている問題点、課題を明確にすることができるはずで、それを各国政府や国際機関と連携して整備をしていく、という流れです。
前者の「アグリカルチャーデジタライゼーション」の展開においては、総合型農協のコンセプトでもある、農業分野だけではなくヘルスケア、エデュケーションなどの情報もすべてをひとつのIDで展開することを目指していらっしゃいます。このIDは、特定の企業や国家が管理するものではなく、非営利団体のOpenID財団が策定した分権的な認証プロトコルの公開標準であるOpenIDを利用することを想定しています。これは、アフリカなどテロなどで人々が難民の形で他国に出て行かざるを得ないケースを想定してのこと。
“ウチがスタートした州で、テロが色々あるわけですけど、そういった方々ってやっぱ別の国に難民として流れていったりします。国民 ID でスタートしてると、近代国家のフレームを外れた途端、学習履歴にしろいろんなその自分の経歴っていうものが白紙になるというか、証明するとことがすごい難しくなるわけですね。でもこのOpen ID っていう仕組みにおいては、別に国家と紐付いた形での鍵ではないので、仮に難民として別の国に行ったとしても必要なデータを自分が管理して引き出すことができるという風なことで考えていっています。”
これからさらに事業を具体化させていくにおいて、農業系ワーキンググループの中で様々な企業とコラボレーションして、基盤のプラットフォーム開発、デジタルインフラ整備、またヘルスケア関連でのデータ統合などを進めていこうとされている合田さん。もし興味や関心のある方がいればぜひ積極的に声をかけてほしい、とおっしゃっておられたのですが、そこにはひとつ重要なポイントがありました。
“農業一つ考えてもですね、売り買いのマッチングができたところで本当にそこの村の中でロジスティック集荷がちゃんとできるのか、保管がちゃんとできるのか、とかあるいは幹線の方のロジスティックがどうなるんだとかやっぱすごいトータルモデルなんですよね。そういう意味では、多分最初からうちの会社だけは絶対利益取るぜって言われるとなかなかコンソーシアムとしては成立しづらい。要はみんなで協力して明らかに価値を示せた時に、それをじゃあどういう形で展開しましょう、で利益をどういう風にシェアしましょうっていうのは、多分もう一段階先のステップになると思うんですけれども”
得意分野の部分だけに注力して成果を出しても、全体の幸せにはつながらない。自社あるいは自分の利益優先の考え方では、仲間として一緒に活動していくことは難しいと合田さんはいいます。
“今の段階においては、アフリカで今電気もありません、ガスもありません、水道も来てません、でも日本企業が、日本企業に限るわけじゃないんですけど、力を合わせてその村でこういうプロジェクト、全体的な、日本語でパッケージみたいな形で提示した時に、その村はこういう風に変わりましたっていうことを示せた、示さなきゃいけないんですけど、示せたとしてTICAD8において、各国首脳に対してこういう成果を示せてますと、じゃこれを一緒に育てて行きたいっていう国は手を上げてください、そこの国とは一緒にやっていきましょうっていう形っていうところを今目指してるっていうところでございますと。”
様々な困難を克服して道を切り開いていった合田さん。熱く語るというよりも、飄々と語る姿が印象的でしたが、その理由は、イベント後半の質疑応答の際のお話で判明しました。イベントレポートの最後は、そんな合田さんの言葉で締めくくります。
“ビルとビルの間にこの幅のはしごというか板を50mかけて、この上ちゃんと歩けますかっていう話に近いんですけど、普通歩けるはずじゃないですか、ここにあったらですよ。でもいろんな想像と妄想するから歩けなかったりするわけですね、普通は歩けるはずなんですけど。それと一緒で、現実の目の前の集中しなければいけないことは何で、自分が考えて打てる手は何で、でそっから先は考えても意味がないというか、自分がどうこうできることとできないこと、そっから先はもう神に委ねるしかないみたいなところとですね、一応自分のマインドの中では区別をして、ただできるのがどれとどれとどれで、じゃあそれはこれを潰すこれを潰す、これを潰した後でもまだどうなるか分からない時には、その心配するだけ無駄なんですね。精一杯自分のすべてを打ち込んだ上において、結果はもう身を委ねるしかないみたいところあってそこまでを真剣にやり切るかどうか、でそれやり切る人なんてほぼほぼいないから。”
目の前に存在する問題に集中し、自分の力でできることは何かということだけを考えてそれを実行する。自分の力ではできないことは心配するだけムダ、そう合田さんは語ります。
“多くの人はそれを心配するところに多分エネルギーの相当部分を取引してるんじゃなかろうかと思っています。そういう意味では一歩踏み出す、現実にやらなきゃいけないことが50目の前にあったとしても、結局一個ずつやるしかないわけです、基本的には。その一個をやってもまだ気は遠いんだけどでも、今日一個やらないよりかやるべきで、この一個をちゃんと積み重ねていけるかどうか、自分が行きたい方向っていうところの一個であるとすれば、これが絶対の正解、一番の近道じゃないかもしんないですけど、それを積んでいく土台を作っていくっていうことを、一個やったところで大差ないです、明日は。これを続けられるかどうか、でその一歩を進む人がほぼほぼ少ないっていうことと、これを続けられる人はより少ないということを知っているのでできるのかなって気はしますね。”
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(文責:ねこのて)
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